2月に90歳で亡くなられた作家の石牟礼(いしむれ)道子さんを送る会
(水俣フォーラム主催、朝日新聞社など共催)が15日、東京・有楽町朝日ホールで
開かれました。
石牟礼さんといえば、有名な著書の一つに水俣病の実相を描いた小説
「苦海浄土」があります。
送る会では、約千人ほどの方が訪れ石牟礼さんの遺影に黙祷を捧げ、
交流があった方たちが惜しむ言葉を述べられました。
【石牟礼道子さんとは】
石牟礼道子さんは1927年、熊本県宮野河内村(現・天草市)に生まれました。
生後間もなく水俣町(現・水俣市)に移り住み、水俣実務学校(現・水俣高)を卒業。
代用教員を経て、58年に谷川雁らの「サークル村」に参加しています。
詩歌中心に文学活動を始めました。
翌年、59年に水俣病患者の姿に衝撃を受け「これを直視し、記録しなければならぬ」と決心しています。
当時はまだ「奇病」と言われた水俣病でした。
68年には、「水俣病対策市民会議」の設立に参加。原因企業チッソに対する患者らの闘争を支援した。
69年、水俣病患者の姿を伝える「苦海浄土」第1部を刊行。
70年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、
「いまなお苦しんでいる患者のことを考えるともらう気になれない」と辞退しています。
以降も「苦海浄土」の第3部「天の魚」や「椿(つばき)の海の記」「流民の都」などの作品で、患者の精神的な支えになりながら、近代合理主義では説明しきれない庶民の内面世界に光をあてていました。
03年頃からパーキンソン病を患い、人前に出る機会は減ったが、50年来の親交がある編集者で評論家の渡辺京二さんらに支えられ、口述筆記などで執筆活動を継続した。
中断したままだった「苦海浄土」第2部の「神々の村」を2004年に完成させ、3部作が完結。
11年には作家池澤夏樹さん責任編集の「世界文学全集」に日本人作家の長編として唯一収録されました。
お別れ会に先立ち会に先立ち、交流があった皇后さまも会場を弔問に訪れました。
石牟礼さんの遺影を見つめ、白い花一輪を捧げて深く一礼。
長男の道生(みちお)さんに「お悲しみが癒えないでしょうね。慈しみのお心が深い方でした。日本の宝を失いました」と声をかけたということです。
さらに皇后さまは、社会学者の鶴見和子さんの名をあげて、
石牟礼さんと初めて会ったのが、2013年7月の鶴見さんを追悼する催しだったそうです。
同年10月、天皇陛下とともに熊本県水俣市を訪れた際には、
胎児性患者2人にひそかに面会したのは、
石牟礼さんから「胎児性患者に会ってやって下さいませ」との手紙を受け取ったことがきっかけだったそうです。
道生さんは皇后さまに「患者さんに会ってくださり、母が感激していました」と伝えたということです。
【苦海浄土とは】
石牟礼道子の長編小説。
水俣病の実態を、被害者からの証言をもとに描いたもの。
昭和35年(1960)「海と空のあいだに」として連載開始。
昭和44年(1969)刊行。「神々の村」「天の魚」とともに水俣三部作の一。
副題は「わが水俣病」。